ASDの世界観

はじめに

初投稿のお試し記事です。期待しないでね。

本文

社会って定型の人達に合わせて構築されてるんですよね。ここでいう定型は、発達の度合いが平均的な人達のことです。いわば物事の見方や考え方の多数派です。

社会の仕組み自体を考えているのは、もしかすると発達寄りの人達の気もするんですが、実際にその仕組みが導入されると、みるみる定型の人達に合わせた形で実現されていくんですよね。

つまり今私達が生きている日本社会は、定型の人達の見方や考え方が支持を得やすい環境なわけです。

そんな環境の中でASDの人達、いわば少数派の人達が活動していると、その人の見方や考え方を否定されやすいんですよね。見方や考え方というのは、人の中核を成す部分と言っても過言ではないと思います。判断や解釈の基盤となる部分ですから。

そんな人として中核の部分を否定されるのは、精神的に耐え難い苦痛になるはずです。それを頻繁にされる。場合によっては親などのように本来愛着を抱くべき存在からもされる。自己肯定感も愛着形成も築き辛いでしょう。

そんなわけで、自己肯定感や愛着形成をうまく育めずに、またトラウマ的な経験も相まって、二次障害として身体症状や精神症状を患うASDの人達はたくさん居ると思います。

終わりに

なんとなく思い付いた内容の書き置きです。中途半端ですが初投稿のお試し的なものなので、まぁ次はちゃんと書くかもしれません。ではよしなに。