私は絵を描けなくなった

絵を描けなくなってから久しく今では描こうともしていない。絵をきっぱりと描かなくなったのは絵を描くと精神状態が悪化する事を確信してからだ。絵を描くと精神状態が悪化する理由は自分なりに思い当たりがある。あとそれとは別に絵を描く人というのは元来精神状態の不安定な人が多いように思う。まぁそこは今回置いておいて自分が絵を描かなくなった理由について述べたい。

 

頭の中のイメージが分裂した

自分が特に迷いもなく絵を描けていた時期は中学生時代にまで遡る。その頃の絵に対するモチベーションというのは、その頃熱心に見ていた大暮維人さんの絵から得たイメージや作画を再現する事と周りからの称賛であった。だけどその両者は、高校生になりネットに触れる時間が増えてから崩れていった。自分の関心を強く引く世界観や作画が大暮維人の方がいくらでもあることを実感し、自分と同じような歳で上手い人が沢山いることもまた実感した。この頃から葛藤が生まれ始めた。しかし、自分が身体を壊す大学2年の頃まで良くも悪くも思考停止気味に描くことは続けてはいたのだ。それさえも途切れてしまったのは次に続く要因があってだろうと思う。

自分は今努力で挽回のしようのない場所にいる

これは自分が大学生時代に美大に進まなかったことを悔やんでいた頃から潜在的に、いやかなり大きい感覚としてありはしたが、これまた良くも悪くも直視せずに描き続けていたのだ。それは絵を描く以外にも生きていくスキルを大学で学んでいて、それが少なからず上手くいっていたからだろうと思う。だけれど、それさえ身体を崩し大学を中退した今となっては崩れてしまった立ち位置なのだ。今まで直視せずにいた事実を直視し、前節で述べた世界観や作画の分裂に対する思考停止が解け、自分がこれから絵を描いて何か意味のある事実を生み出せる実感がなくなってしまった。それでも描くのが好きなら描いたらいい。そう思っていた。

やはり一度実感してしまった事実は消えない

やはり一度実感してしまうとそれを払拭するにはそれなりの儀式がいるのだろう。その儀式というのも大体想像は付くし、世間一般にありふれたストーリーのアレを自分が体現できれば解決する事なのだろうと思う。けれど自分がそのストーリーを辿れる気がしないのだ。今までの人生の中で世間一般にありふれた感動のストーリーを自分は辿ることがなかった。これは絵に限らずの話で、無意識に自分はそういったものを嫌い避けてきた感覚がはっきりとある。そんな自分がそのストーリーを望むのは都合がいいというより元より出来ない。

万策尽きた

いやもうこの一言に尽きるだろう。少なくとも自分の頭の中はそうだ。だからこそ一点だけ希望を残せるとしたら自分の頭の外だと思っている。今まで自分は絵を描く体験を他の人と共有してきた事がなかった。これは絵を描く人達の中でも重要な過程の1つだと確信している。これを自分が体験したなら、まだ想像の出来ない自分の立ち位置が見つかるのではないかとまだ未練がましく希望を抱いている。

今絵を描く唯一の理由

だからこそ、今絵を描く理由を1つだけ挙げられるとすれば、その絵を描く体験を共有できる人と出会う為に描き続ける。そのためぐらいなんだろうと思う。なんだ、やっぱり結局、描かないと先に進む希望すら無くなるんだな。現実は残酷過ぎる。

 

P.S.全く読み返さずに書ききったので痛い文章になっている気がします。