サブカルってなんやねん

突然ですが、サブカルって最近よく耳にしません?

いやまぁ、随分前から耳にはしてましたけど、某クソアニメのおけげで存在感が増してます。

ところで、サブカルって何なんでしょうか?

もちろん感覚的には知ってます。私だって立派な若者ですから。ゆるっとした言葉への耐性はちゃんとありますよ。ただね。アスペチックな私的には、厳密な定義が気になって仕方ないとです。

そこでちょっと整理しちゃいます

まず、サブカルチャーって言うけど、何のサブなの?って話です。サブって言うからにはメインもあるんでしょうか?

あるみたいです。サブカルチャーと対峙する概念「メインカルチャー」、これは「社会で支配的な文化」を指すみたいです。所謂アレです。天下の「マジョリティ」様です。

つまり、サブカル=マイノリティ???(なんか違う感じがする)

奴等がマイノリティかと言われると微妙に怪しい。なんだかしっくりこない。何よりサブカルって「チープな文化(他意はない)」的なニュアンスを込めて使われてますよね。

そうなんです。実はさっきのサブカルチャーメインカルチャーの対比、これは英語の本場アメリカの用法だそうです。日本では専ら別の概念と対比して使われます。その対峙する概念が「ハイカルチャー」(なんでサブに対してハイやねん!)、これは「学問や芸術などの高等な文化」を指すみたいです。

つまり、サブカル=下等な文化???(うわ叩かれそう)

まとめ

(特にまとめることは)ないです 。

 

自分語り

はじめに

自分の疾患や障害についての考察です。完全な自分語りです。

本文

自分が診断済みの疾患と障害には、アトピークローン病ADHDがあります。あと個人的にはASDもあると思っています。

ただこの4つの軸を足して見ても、どうしても説明できない要素があって、それらには連続性がみられるんです。要するにもう1つの軸があると考えています。

それは恐らく人格障害の一種だと目星を付けています。自分の経歴からするとあっても何ら不思議ではなく、むしろ、それがあることでやっと自分の状態が説明できると感じています。その人格障害が反社会性なのか、境界性なのか、双極性なのか、具体的な部分まではまだ分かりかねます。

また、今の状態で医師に相談しても状態が複雑なだけにすぐに診断は下りないでしょう。いや下りたとしてもそれに自分が納得できる自信がありません。なんせ自分自身でも全く整理ができていない状態だからです。

おわりに

読んでいただきありがとうございます。考察や境遇に進展があればまた記事にするかもしれません。その時はよろしくね。

 

ASDの世界観

はじめに

初投稿のお試し記事です。期待しないでね。

本文

社会って定型の人達に合わせて構築されてるんですよね。ここでいう定型は、発達の度合いが平均的な人達のことです。いわば物事の見方や考え方の多数派です。

社会の仕組み自体を考えているのは、もしかすると発達寄りの人達の気もするんですが、実際にその仕組みが導入されると、みるみる定型の人達に合わせた形で実現されていくんですよね。

つまり今私達が生きている日本社会は、定型の人達の見方や考え方が支持を得やすい環境なわけです。

そんな環境の中でASDの人達、いわば少数派の人達が活動していると、その人の見方や考え方を否定されやすいんですよね。見方や考え方というのは、人の中核を成す部分と言っても過言ではないと思います。判断や解釈の基盤となる部分ですから。

そんな人として中核の部分を否定されるのは、精神的に耐え難い苦痛になるはずです。それを頻繁にされる。場合によっては親などのように本来愛着を抱くべき存在からもされる。自己肯定感も愛着形成も築き辛いでしょう。

そんなわけで、自己肯定感や愛着形成をうまく育めずに、またトラウマ的な経験も相まって、二次障害として身体症状や精神症状を患うASDの人達はたくさん居ると思います。

終わりに

なんとなく思い付いた内容の書き置きです。中途半端ですが初投稿のお試し的なものなので、まぁ次はちゃんと書くかもしれません。ではよしなに。